2024年2月、宝塚市に254億円という巨額の寄付を行い、大きな話題となっているキーエンス創業期メンバーの岡本光一氏(77歳)。
岡本光一さんとは一体どんな人で、なぜこんなにも巨額の寄付ができるのでしょうか?
妻の明美さん(75歳)との連名で行われたこの寄付の背景には、30年近い地域福祉活動の歴史がありました。
今回は、電子技術者から社会貢献家へと転身を遂げた岡本氏の経歴や、二人三脚で福祉活動に取り組む妻・明美さんとの活動、そして巨額寄付が可能となった理由までを詳しく解説していきます。
【顔画像】岡本光一のwiki風プロフィール
宝塚市の未来を変える大きな決断をされた岡本光一氏について、まずは基本的なプロフィールをご紹介します。
- 名前:岡本光一(おかもと こういち)
- 年齢:77歳(2024年2月現在)
- 住所:兵庫県宝塚市
- 職歴:元キーエンス役員
- 現職:宝塚福祉コミュニティプラザ 代表理事
- 資産:推定1600億円以上
顔画像は探してみましたが、どこにも見当たりませんでした。
過去のインタビュー記事に顔画像が載っていたようですが、画像は見れなくなっています。
かなりのお金持ちでしょうから、身元がバレないように慎重にされているのかもしれませんね!
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岡本光一の家族構成は?妻や子供はいる?
岡本光一さんの家族は、妻の明美さん(75歳)との2人家族です。
今回の寄付は、岡本光一氏と妻との連名で行われました。
実は明美さんも、ただのパートナーではありません。
夫とともに財団理事として長年にわたり地域福祉活動に携わってきた実力者なんです。
夫婦に子供はいないそうですが、その分、地域社会を大切な家族のように考え、貢献活動に力を入れてこられたとか。
特に1995年の阪神・淡路大震災がきっかけとなり、二人で財団を立ち上げ、本格的な福祉活動をスタートさせたそうです。
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岡本光一が254億円の寄付が可能な理由
電子技術者から一転、キーエンス創業メンバーとして大成功を収めた岡本光一氏。
巨額の寄付を可能にした背景には、日本が誇る優良企業「キーエンス」の存在がありました。
失業から一転、キーエンス創業メンバーへ
30歳を前に失業を経験した岡本氏。
不況の波の中、多くの会社を回っても就職先が見つからない日々が続きました。
そんな中、小さな新聞広告との運命的な出会いが訪れます。
その会社こそが、現在の株式会社キーエンスの前身でした。
岡本氏は、自身の転機についてこう語っています。
「こんなおじさんがなんでそんなことできたの?」
と思ってるでしょと。
僕は元々電子技術屋で回路設計をしていたんだけど、 30歳手前の時、失業していました。
で、当時不況で色んな会社を回ったけど、 縁がなかった。
たまたま小さな新聞広告の求人を見て、 受けたら「来てくれ」と。
小さな会社だったけど、仕事をし始めると面白くて どんどんのめり込みました。
社長 か ら 「これからオートメーションのセンサ一が売れる。 それを開発してくれJ と言われて開発をして、製品化されました。
売上が毎年倍々という感じで売れに売れた。
会社がどんどん大きくなって、 そうこうしているうちに一部上場。
(引用:https://barrier-free-challenge.com/dialogue/1807)
入社後、岡本氏はオートメーション用センサーの開発に没頭。
その熱意と技術力が評価され、社長から株式保有の提案を受けることになります。
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キーエンスの驚異的な成長と資産形成
岡本氏の資産形成を可能にしたのは、キーエンスという会社の驚異的な成長でした。
驚くべきことに、キーエンスの経営指標は日本企業の中でもトップクラスなんです。
この寄付した人は岡本光一さんという方で、創業者の滝崎武光さんと共にキーエンスを発展させた功労者らしい
ちなみにキーエンスの平均年収は2000万円越えとのこと😱【速報】兵庫・宝塚市で夫婦が約254億円を寄付 新たな市民病院の建設資金で「市民のためになれば」
— 激バズ3rd (@gekibnews) February 3, 2025
営業利益率は約50%。
一般の企業が10%前後と言われる中、圧倒的な収益力を誇ります。
社員の平均年収も1800万円以上と破格の待遇。
時価総額は約16兆円にも達し、株価は10年で約11倍という驚異的な伸びを見せているのです。
- 営業利益率:約50%(日本企業トップクラス)
- 平均年収:1800万円以上
- 時価総額:約16兆円
- 株価:10年で約11倍に上昇
このような驚異的な成長により、創業期メンバーとして株式を保有していた岡本氏の資産も大きく成長。
推定1600億円以上とも言われる資産を形成することになります。
一方で岡本氏は、この成功について「自分の能力だけでなく、社長や社員の能力があってこその財産」と謙虚に語っています。
この姿勢が、後の社会貢献活動にも大きく影響を与えることになります。
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岡本光一はなぜ寄付をしたのか?
巨額の資産を持つ岡本氏が254億円もの寄付を決断した背景には、30年に渡る地域福祉活動の歴史がありました。
阪神・淡路大震災から始まった福祉活動
1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。
この出来事が、岡本夫妻の人生を大きく変えることになります。
震災直後、岡本氏は市役所に駆けつけ、屋根のブルーシート張りから始まり、仮設住宅の段差解消など、様々なボランティア活動に携わりました。
この経験を機に、岡本夫妻は2002年に宝塚福祉コミュニティプラザを設立。
以来、ボランティア活動の支援施設運営や地域福祉サービスの提供など、地域に根ざした活動を展開してきました。
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254億円の寄付とその想い
2024年2月、岡本夫妻は宝塚市に対し、以下の寄付を行うことを発表しました。
・市立病院建て替え資金:250億円
・手術支援ロボットの購入資金:約4億円
寄付には以下の条件が付けられています。
・5年以内の設計着手
・新たな基金の設置
・市民の医療環境改善への活用
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富の再配分への強い思い
実は若い頃、社会主義に傾倒していた経験を持つという岡本氏。
その経験が、現在の社会貢献活動にも影響を与えているといいます。
妻の明美さんとともに、子供のいない2人は地域社会を大切な家族のように考え、これからも福祉活動を続けていく意向とのことです。
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まとめ
技術者からキーエンス創業メンバーとなり、その後社会貢献家として活躍する岡本光一氏。
その人生は、富の再配分の理想的なモデルケースといえるでしょう。
今回の寄付を通じて、宝塚市の医療体制は大きく改善される見込みです。
今後も妻・明美さんとともに、地域福祉への貢献を続けていくことが期待されています。